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その他の情報配偶子 配偶子は接合して接合子を生じるので、配偶子の染色体数は接合子の染色体数の半分である。 動物では、ごくわずかの例外を除き、卵と精子の接合(受精)によって生じた受精卵は、体細胞分裂によって発生、分化、成長し、ふたたび配偶子を作る事になる。そのため、配偶子を形成する際に、染色体数を半減するような分裂を行う。これを減数分裂という。 陸上植物(コケ・シダ・種子植物)では、減数分裂によって配偶子ではなく、胞子が形成される。胞子は単独で成長して配偶体を形成し、配偶体内で体細胞分裂によって配偶子がつくられることになる。 配偶子には、接合する上でのタイプがあり、同タイプの配偶子同士では接合せず、異なるタイプの配偶子間で接合する。この接合に関するタイプが接合型あるいは性と呼ばれる。 同形配偶子の場合、形態的に接合のタイプを区別できないため、雌性・雄性という語は用いないが、異形配偶子の場合、大きい配偶子(大配偶子)を雌性配偶子、小さい配偶子(小配偶子)を雄性配偶子と呼ぶ。したがって、卵は雌性配偶子、精子は雄性配偶子である。 個体の性は、その個体がどちらのタイプの配偶子をつくるかによって決められる。大配偶子を形成する個体が雌、小配偶子を形成する個体が雄である。したがって、卵巣・精巣をともにもち、卵・精子ともにつくる動物(雌雄同体)では、個体の雌雄を区別することはしない |
本多正純 慶長8年(1603年)、家康が征夷大将軍となって江戸に幕府を開くと、家康にさらに重用されるようになる。慶長10年(1605年)、家康が将軍職を三男の秀忠に譲って大御所となり、家康と秀忠の二元政治が始まると、江戸の秀忠には大久保忠隣が、駿府の家康には正純が、そして正純の父・正信は両者の調停を務める形で、それぞれ補佐として従うようになった。正純は家康の懐刀として吏務、交渉に辣腕を振るい、俄然頭角を現して比類なき権勢を有するようになる。慶長13年(1608年)には下野国小山藩3万3,000石の大名として取り立てられた。 慶長17年(1612年)2月、正純の家臣・岡本大八は肥前国日野江藩主・有馬晴信から多額の賄賂をせしめ、肥前杵島郡・藤津郡・彼杵郡の加増を斡旋すると約束したが、これが詐欺であった事が判明し、大八は火刑に処され、晴信は流刑となり後に自害へと追い込まれた(岡本大八事件)。大八がキリシタンであったため、これ以後、徳川幕府の禁教政策が本格化する事になる。 慶長17年(1612年)12月22日には築城後間もない駿府城が火災で焼失したが、再建がなるまでの間、家康は正純の屋敷で暮らしている。慶長19年(1614年)には政敵であった大久保忠隣を失脚させ、幕府初期の政治は本多親子が牛耳るまでになった(大久保長安事件)。 慶長19年(1614年)からの大坂冬の陣の時、徳川氏と豊臣氏の講和交渉で、大坂城内堀埋め立ての策を家康に進言したのは、正純であったと言われている。 |